《Jamscape Breath》のロケ中のこと。

見沼が昔にあった場所でもある、芝川第一調節池がロケ地だった。見沼まで縄文時代くらいまで遡れば海だったらしい。それが徐々に干拓されて、見沼の面影はこの調節池に残されているとのこと。それでも、まだかなり大きい沼だ。
「さいたま国際芸術祭 2023」に出す作品の制作で、水辺での撮影だった。水難事故があってはいけないというわけで、見守ってくれる人たちがついてきての撮影だった。夏、日の出前の暗い時間にわざわざきてもらって申し訳なく思った。三日間ほど早朝のロケだったけど、とても協力的だったから気を揉むこともなくなっていった。しかしながら、公的に作品を制作することってこういうことなのかと思う。これまでは、ずっとはじっこにある広い方に引き寄せられてやりたいようにやるような制作だったから。
作品をつくる時に気にすることで、恐さをほどほどにするというものがある。日常の延長にはあまりないような、不気味なもの、これを表現するときにそのような調整が僕の感覚でなされている。これは創作をすることの倫理感なのだろうか。

「息から産まれた泡の音が遠くからでもよく聴こえた」と、その見守っていた方のひとりから教えてもらった。録音にその人たちの気配が入らないように、50Mくらいは離れてもらっていた。小さな泡が浮かんでは弾ける音。早朝の芝川第一調節池はとても静かだ。
息から産まれた波が円形になって広がっていたことも教えてもらった。僕には前方に広がってゆく波しか見えていなかった。僕は海のような波、横ならびに進むイメージをなぜか引きずっていた。円なのか。


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