幼いころは、よく弟と虫とりにでかけた。たいて弟のほうが虫を捕まえるのが上手だったから、気づけれないようにいじけて、弟の後ろをついていく。弟の熱中とはよそに、僕は虫とり網で風をすくっては、手のひらで風の重さを量ったりしていた。偶然見つけた虫とりの本質の屑のようなその楽しみが、強い日差しのなか、うれしかった。
おかしな話、そのうれしさも鼻づまりのなかでのうれしさだった。物心ついたときから鼻は絶えずつまってて、小四のときには鼻茸ができた。濃厚な弾力によって外気との交流が妨げられた閉塞感は、二七歳になって本格的に治療をはじめるまで常のものだった。
つきまとう閉塞感から、息継ぎをするように、よそ見をするのは、あの頃からかわっていない。ただ、ちょっとずつよそ見を繰り返しているうちに、なにかに向かってまっすぐ歩くことができなくなっている。あの屑が誘う惑乱の風景を生きていくのも悪くないのではないか。
2021年1月
先端芸術表現科|卒業・修了作品制作展示カタログに寄稿