今橋勇介 | 作品によせて −Jamscape Insectcageから−



映像作品『jamscape insectcage』は、作者の『jamscape』というこれまでの試みの集大成です。『jamscape』とは、見慣れたありふれたもののなかから見慣れない風景を生じさせようとする試みです。映像には、山沿いの空間に300個もの虫かごが積み上げられたり木の枝にひっかけられたりしている不思議な風景が映し出されています。

映像の中の虫かごは、今の私たちにとっての幼少期のような、今や忘れられた何かを表していると言えます。歌ったり、虫を捕えたり、挙句の果てに放尿したりと、子どものようにふるまう作者の姿を伝える主観ショットの映像のなかに、突然、虫かごの中から静かに見つめるように外の空間を撮影した場面が現れます。この映像の視点の切り替わりを通して、作者は自らを、そして映像を見ている私たちを、虫かごに幽閉します。それはあたかも人が虫かごの一つとなって、置き去りにされたかのような印象を与えます。

虫かごに一度閉じ込められた私たちはもはや虫かごを空っぽだとは思えません。一つ一つの虫かごも、それぞれの風景を眺めているように見えるからです。無数の虫かごの中の誰かれと隣り合わせのこの空間に現れるものこそ、いくつもの風景(scape)が詰め(jam)込まれた風景、『jamscape』です。

『jamscape insectcage』は、近代的な自然観への批判として受け取ることができます。それは、遠く離れたところから自然を純化、客体化し保護しようとする、人間/自然という抽象的な枠組みに基づく一方的な見方にすぎません。架空の自然です。作者は人為と自然だけでなく、いくつもの視線がごっちゃになったより現実的な自然の真っただ中に没入し、そうした自然観からでは見ることのできない風景の出現を待ち構えているのです。

虫かごに閉ざされることで見慣れない風景へと視界が開ける。虫かごが散らばったあの彼岸のような、どこか不思議なやすらぎに満ちたこの映像作品は、私たちの見慣れた世界のなかで、見逃され、放って置かれた何かを問い直させます。